犬山城が最古の天守閣だと判明⁉お城ファンをざわつかせるニュースが流れました。
日本には戦国時代に作られた天守を持つ城が数多く残っています。
城主の威厳を示す「天守閣」はまさにお城の顔。
そして現在残っている天守で既往の状態を維持しているのは12城。
その中で最も古い天守はどこなのか?そんな議論が以前からありました。
これまでは福井県の「丸山城」が最古だと通説でしたが、今回「犬山城が最古の天守だと判明した」とニュースが流れました。
だけど一部では「科学的根拠でお願いしてる」と話題にも(‘◇’)ゞ
科学的根拠でお願いとは何なのか?
既往の状態を維持した天守とともに犬山城を見てみましょう。
犬山城が最古の天守だと認定された理由
今回犬山城が最古の天守だと認定された理由を簡単に説明します。
「年輪から木材の伐採時期を特定しました」
ほ~!お城に使用している木材の年輪を科学的に調べると、伐採された時期が分かるらしいです。
測定は名古屋工業大と奈良文化財研究所が共同の調査らしい。
1階の柱が1585年、4階北側の床梁が1588年に伐採されたことが判明。
つまり1588年に伐採された木材を使用し、その後数年以内には天守が建造されていたはずだ!と結論づけた訳です。
犬山城が最古?天守の最古論争はまだまだ続く⁉
今回の調査で犬山城が最古かも⁉という有力な証拠が示されたのは事実ですが、専門家は木材の調査だけで最古だと決めるのには疑問があるとも発表しています。
実は最古の天守かも?と名前が挙がるお城はたくさんあるのです。
犬山城は国宝の天守閣!他にもお城は国宝たくさんある
- 松本城:1590年築
- 犬山城:1601年
- 彦根城:1608年
- 姫路城:1609年
- 松江城:1611年
国宝の5つの城を見ても天守の築城年数はめちゃくちゃ近い。
1600年前後にラッシュで建築されているのが分かります。
そして上の最古順位はつい先日までのもの。今回の2021年の発表で犬山城が1588年という10年以上も天守の築城が古い可能性が出てきました。
松本城は犬山城より古い?なんで主張しない?
松本城は犬山城に最古の座をみすみす明け渡して大丈夫?
そんな心配もしちゃいます・・・実は天守の最古論争に終止符が打たれないのがここに理由があります。
「天守が建築された年代は推定でしかない」
そうなんです!今回の犬山城の調査でも、木材の年輪を調べただけ。
伐採時期は科学的な根拠を持って断言できるけど、天守閣を建築した時期は推定に過ぎないのです。
「犬山城を最古にしてほしい!お願いみんな認めて」
まるで都市伝説(笑)
松本城が最古かもしれない理由は古文書⁉都市伝説?
犬山城は科学的調査で「最古の天守」に名乗りを上げました。
では1590年築の推定を受ける松本城はどうするのか?
松本城の天守が1590年に建築された推定の理由が独特です。
「複数の古文書を検証した結果・・・」
という根拠としては足元がおぼつかない感じなんです。
しかも、木を多く切ったと記録されてる・・・という内容まで根拠に一つになってるらしい( ̄▽ ̄;)
でもロマンがあって素敵な感じはしますが。
現在、松本城は科学的な調査を実施していません。だから最古の天守論争ではやや2軍な感じです。
なんでも「江戸時代になってから」天守が作られたという都市伝説みたいな噂もあるそう。
天守の最古候補!犬山城は誰が作ったお城?
犬山城は織田信長の叔父、織田信康によって築城されたとされてます。
その後、木曽川を挟み美濃の国「斎藤道三」との対立で重要な拠点となります。
戦国の英雄!織田信長に佐藤道三です!
まむしの道三と呼ばれる斎藤道三との戦で、織田信康は討ち死に。
信康に代わってその子織田信清が城主になります。
だけど信清は信長に反抗したから追い出されちゃいます(‘◇’)ゞ
豊臣秀吉も犬山城に入城していた
本能寺の変で織田信長亡き後の後継者争い。
戦国の世のクライマックスですね!
織田信長の息子、徳川家康、豊臣秀吉、時代の英傑が犬山城の周りに集結します。
犬山城に入城したのは未来の太閤殿下「豊臣秀吉」
そして織田信長の息子「信雄」と徳川家康がタッグを組んで秀吉と戦った「小牧・長久手の戦い」が始まりました。
ちなみに徳川家康が入城したのが小牧城です。
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