八幡の藪知らずの都市伝説!葛飾八幡宮の旧宮跡や放生会のあと
八幡の藪知らずが立ち入りを禁じられる禁足地になったのは、怨念や呪いではないというのが葛飾八幡宮の跡地説です。
伊勢神宮は20年に一度、社殿の建て替えをする式年遷宮があります。
八幡の薮知らずも「葛飾八幡宮」の遷宮のための跡地だったのでは?という有力な説があります。
つまり一時期は八幡の薮知らずに葛飾八幡宮の社殿が建っていたというのです。
八幡の藪知らずの都市伝説!葛飾八幡宮の放生会だった伝説
放生会とは魚や家畜や獣など殺生を戒め、感謝する儀式です。
葛飾八幡宮が放生会の儀式を八幡の薮知らずで行っていたという伝説があります。
八幡の薮知らずの内部は、中心が凹んでおり、放生会に利用する池になっていた可能性があると指摘されています。
つまり葛飾八幡宮の神事として、八幡の薮知らずの内部で放生会の儀式が執り行われた。
放生会の神聖な神事を執り行う場所だから、おいそれと立ち入ることは禁止されたという伝説です。
放生会はいつしか途絶えて、禁足地だけが残り、いつしか怖い伝説に生まれ変わってしまったというオチです。
八幡の藪知らずの都市伝説!平将門の影武者伝説!
日本に三大怨霊なるものが存在します。
歴史上で非業の死を遂げ、特に現世に強い執着と怨念を抱き、死を拒み続ける怨霊の親玉です。
- 崇徳天皇
- 菅原道真
- 平将門
上記3名が日本の怨霊界のドンです。
高い地位にありながら不遇の人生を歩み妖怪となった崇徳天皇。
学問の神様と知られると同時に、朝廷に祟り神として恐れられ、北野天満宮を建立させた菅原道真。
そして八幡の藪知らずを冥界へと繋がる禁足地にした平将門。
平将門の怨念伝説は八幡の藪知らずだけではない!
平将門の怨念、呪い、呪縛の伝説は八幡の藪知らずだけではありません。
実は平将門にまつわる呪いの伝説は全国各地にあります。
- 京都神田明神 平将門の首を晒した場所
- 平将門の首塚 東京都千代田区の首塚は京都から飛んできた将門の首が落ちた場所
- 全国各地の首塚 将門の首は全国各地に飛び散ったとも言われている
平将門と八幡の藪知らずの伝説の関係
八幡の薮知らずの伝説にも平将門が登場します。
京都で晒し首になり、それでも死なずに全国に飛び散ったと言われる将門の首。
処刑された首が笑ったり話をしたり、挙句の果てに全国に飛んでいったらしい。平将門おそるべし!
八幡の薮知らずも将門の首塚なのでしょうか?
八幡の薮知らずの伝説では、平将門の首を祀った「お墓」伝説があります。
家臣の6名が平将門の首を守り続け、そのまま泥人形になったとか・・・
守りつづけたのは分かるけど泥人形になったってどういう状態??
また平将門が朝廷軍と戦った際の鬼門に位置するのが八幡の藪知らずだったともいわれています。
八幡の藪知らずの場所と行き方
住所:〒272-0021 千葉県市川市八幡2丁目8
八幡の藪知らずの都市伝説まとめ
- 八幡の藪知らずは禁足地
- 八幡の藪知らずに入ると出てこられない
- 水戸黄門が八幡の藪知らずで妖怪に会った
- 女子高生が行方不明になった八幡の藪知らず事件
- 平将門の呪いの伝説がある
- 八幡の藪知らずの所有者は葛飾八幡宮
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