火垂るの墓都市伝説!清太は地縛霊となって三宮駅に今もいる?
強烈に怖い都市伝説です。
火垂るの墓は幼い兄妹が戦争という荒波に翻弄され、自分たちの力だけでは生きていけなかった悲しい物語・・・のはずです。
ところが都市伝説では火垂るの墓は、それは怖い怖いホラー作品だというのです。
何がそんなに怖いのか?
それは清太が神戸の三宮駅から離れることができない地縛霊になっているという都市伝説。
清太が地縛霊になっている?三宮駅で貴方を見てるかもしれない
火垂るの墓の全体の流れは公開された1988年の発展した三宮駅に清太が現れるシーンから始まります。
そして戦時中の太平洋艦隊の撃沈、母の死、節子の死、そして自分も死ぬというストーリーが流れ、エンディングで1988年の神戸の街を見下ろす形で終わります。
つまり清太が辛い過去を思い出す追悼的な映画になっています。
清太のカメラ目線が怖い
1988年の発展して戦争の爪痕がすっかりなくなった神戸の街。
そこに輪郭が溶け出した存在感のない清太がいます。
清太は死んでいるのだから、1988年の神戸の街を見ることはできません。
だけど高畑勲監督はあえて清太が死んだ後の1988年の神戸の街に、清太を出現させカメラ目線で視聴者に向かって語らせたのです。
「昭和20年9月21日夜、僕は死んだ」
高畑勲が1988年の街に清太を出現させた理由がホラーの始まり
関西弁で語られる冒頭の清太のセリフです。
清太が死んで節子と仲良くあの世に行ったのなら、このセリフは必要なかった。
天使たちに囲まれ天国は最高~とはしゃいでても良かったのです。
でも高畑勲は暗くて沈んだ表情で「僕は死んだ」と語らせました。
演技指導ですね(笑)
コレにはホラーの始まりの重要な意味があります。
高畑勲が清太と節子は幽霊だと語る!
火垂るの墓の監督の高畑勲はなぜこのシーンで清太に自分の言葉として語らせたのか。
それは清太が1988年の神戸三宮駅に幽霊となって存在しているから。
「劇中に節子と清太と幽霊を登場させましたが、彼らは気の毒なことに同じ体験を繰り返していくしかないのだ」
監督の高畑勲はしれっとメチャクチャ怖いことを言っています。
節子と清太は三ノ宮駅で地縛霊になっている⁉
彼らは気の毒なことに同じ体験を繰り返していくしかないのだ。
とは清太と節子は、あたかも土地に取り憑く「地縛霊」のようになって三宮駅で自分たちの死を繰り返し追体験しているというのです。
とんでもない監督だ!
というか怖すぎます。
おそらく清太は節子が死んだ理由。母が死んだ理由。父が出兵した帝国海軍が撃沈した理由。それらの全てに答えが出せないのでしょう。
答えが出ないからいつまでも何度でも繰り返し追体験を繰り返す。
今でも清太は現代の神戸の街と終戦末期の辛い時代とを繰り返す行ったり来たりしているのです。
答えを探し求めて。
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